Story
ストーリー
最初の仕事は社名変更ーー叩き上げの社長は、どんな想いを名前に込めたのか
「リスクを恐れずに飛び込んでいき、今までに無いものを創りだす」ーーそんな想いを持ち、私たちファーストペンギンは事業を運営しています。弊社のトップ、市之川匡史はジュエリー会社の経営者から中途入社し、社長に就任したという経歴の持ち主。そんな彼が社長として行なった最初の仕事、それは社名変更でした。
絵を描くことが好き。“インドア派”だった少年時代
私が株式会社ファーストペンギンの代表取締役社長に就任したのは、2014年のこと。もともと僕は株式会社ファーストペンギンの前身であるインフォトップグループの「株式会社インフォトップマーケティング」に、2009年、広告営業職として入社しました。
その前は何をしていたか?実は僕、元ジュエリー会社の「独り社長」だったのです。独り社長だった自分が、なぜ今や70名ほどの会社の社長になっているのか——それは自分独りだけでできることに限界があることを知り、人と仕事をすることの喜びに起因していると思っています。
せっかくの機会なので、少しだけ、自分の人生を振り返らせてください。
小さいころの私は、両親いわく縁側でずっと絵を描いていた少年だったそうです。まるで外では遊ばなかったみたいで(笑)。あとは父がくれたノートパソコンをずっといじっていましたね。父がプログラマーだったこともあり、私にプレゼントしてくれて。
そんな風に、絵を描いたり、パソコンをいじったりするような少年でしたが、すくすくと育ち、高校卒業後、ジュエリー系の専門学校に通うことになります。
本当は、美容師になろうとしていたんですが、まさかの不合格。それで偶然なんですけど、ジュエリーの専門学校を受けたら、なんとか引っかかり。ただ、この失敗が私を起業家の道へと誘ってくれたのかもしれません。
21歳でジュエリー会社を起業。待っていた“独り”という地獄
そこから学校近くのアクセサリーショップで働いていました。で、いっそのこと「自分でやってみたい」ということで、思いきって起業することにしたんです。これが21歳のころ。
世間でいう21歳はまだまだ大学生、という人が多いでしょう。それにこの年齢で起業というのは、なかなか思い切ったなと感じるでしょうが、私は何も怖くなくて。
父が会社を経営していましたし、それが当たり前の環境で育ったので、リスクを考えることは少なかったんです。起業することを両親に伝えたら、特にとがめられることもなく、「いいじゃん」って(笑)。だから、不安はみじんもありませんでした。
起業した理由?そこは21歳らしく、「社長って格好いいな」っていう軽い気持ちですね(笑)ただ、税金のことなど細かいことを何も分からないまま始めたので、かなり苦労しましたね。
そのあとは、商品のデザインから制作、営業までありとあらゆることを、独りで全部やっていました。ブランドの立ち上げや、他メーカーの量産を手伝ったりと、とにかく走り抜けました。
何が一番大変だったか?と聞かれると、意外かもしれませんが、「自社ブランドの企画」ですね。一見、おもしろそうと思うかもしれませんが、とにかく苦しいんです。
年2回ほど、新作を作っていたのですが、3~4年と仕事をしていると、アイデアがなかなか出てこない、新しいアイデアが。まさに「生みの苦しみ」を味わうことに。
アイデアが枯渇するというクリエイターとしての苦しみにさいなまれながら、お金まわりの管理の苦しみもやってくる。真反対の作業に追われ、なかなか眠れない日が続き、結果、不眠症になったこともありました。
結局、6年ほどで独りの会社を一度、休眠させることにしたんです。次、何をしようかと考えたとき、ジュエリーやアクセサリのーのような「有形のもの」を扱った商売はしばらくは離れ、「無形商材を扱いたい」という気持ちが湧いてくるのを実感したんです。
元社長のプライドを捨て、サイトで転職。ゼロから子会社社長へ
そこから“元社長”とか、そういうプライドは捨て去って、いわゆる求人サイトでの仕事探しをスタートしました。
IT・Web業界に絞って会社探しをしていたところ、この会社に出会ったんです。
コネも何もなく、普通に面接して、無事に合格。広告営業としてお世話になりました。正直いうと、業界で絞っていただけなので、何をやる会社かあまり知らないまま入ったんですよね(笑)。
まぁ、もともと独りで事業をやっていた身、どうせやるなら3年で「子会社の社長になる!」という野望は持っていました。面接ではその話もしましたね。
入社後、とにかく広告営業で結果を追い求めて。ただ動くだけでなく、“考えながら走る”ことを意識して、コミットした結果、しっかりと成績も残せましたね。結果、2年半ほどでグループ会社のセミナー事業をする企業やコンテンツの事業会社で社長をやらせてもらうことに。
組織ってなかなかいいものですね。だって、頼れる仲間がいるんですよ(笑)。各ポジションにしっかりと専門の人間が存在し、それぞれが自分の仕事をプロとして遂行している。その姿はオーケストラのようで、私はいわば指揮者。昔みたいにすべての役割を独りでやっていたころは、本当になんだったんでしょうね(笑)。
とにかく、「組織って、本当に素敵だな」って思いましたね。
その後、私が代表を勤める会社を含む、3社が2012年に合併。私はファーストペンギンの前身である企業の役員になります。その後、会社が大きく生まれ変わるタイミングとなり、新しい社長が求められていました。そこで自ら手を挙げて、代表になったんです。入社5年目、とにかくあっという間でしたね。
新社名に込めた想い、“荒海に飛び込む挑戦者を応援したい”
私が代表取締役になった2014年、思い切って社名を変更することにしました。一般的に社名というと、インターネット業界やインターネットサービスでは、「サービス名=会社名」を想起することが多いですよね。フリマアプリとか、代表的なものがいくつか浮かびますよね。
でも私はその逆、「サービス名に縛られない会社」を演出したかったんです。なぜか?社名変更にいたる前段階で、事業の「多角化の推進」を目指していたからです。
当時もそう、2018年現在もそうかもしれませんが、世の中の風潮としては、事業の「選択と集中」が是とされている。でも私の考えとしては、「ひとつのことだけをやる方がリスク」という感覚があったんです。これは私の独り時代の経験が反映されているのかもしれません。
そのためには、「サービス名=会社名」という一般論的な考え方を捨て、会社がどのようになっていくか、どこを目指すか、それを新社名に込めようと。
そこに「ファーストペンギン」という意味合いがすごくフィットしたんです。ファーストペンギンとは群れの中で最初に水に飛び込むペンギンを指す言葉。水に入ってしまえば、そこにシャチがいて喰われてしまうかもしれない、ただ、そこに魚の群れがあれば、先行者利益じゃないですけど、独り占めできる。
自分の経験を振り返ってみても、「とりあえず飛び込んで、リスクをとっていったら、うまくいく」っていう感覚があったので、この言葉、やけに気に入ったんです。「リスクを恐れずに飛び込んでいき、今までに無いものを創りだす」いう意味合いで、名前を変えたということなんですね。
そして、同時に、ファーストペンギンとなり得るような人たちを「応援」するサービスをつくっていきたい。「自分のため」というより「人のため」という想いで、インフラに近いサービスをやっていきたいと思っています。
たとえば、今進めている「決済」事業にはもっと力を入れていきたいと思っています。世の中には、まだまだ決済が使えない場所や事業者もたくさんいます。そういう人たちが決済機能を気楽に使えるようにし、事業をスケールする手助けがしたい。
他には「海外就労支援」の事業も新規に展開しています。やっぱり、海外ではたらくことって、ハードルが高い。海外に気楽に行ける、海外でもっと働きやすくなるような仕組みをつくることで、今よりもっと海外で活躍できる日本人が増えるかもしれない。
つまり、「リスクを恐れずに飛び込んでいき、今までに無い“インフラ”を創りだす環境を作ること」。今、私ができるのは、そんな“インフラ”を作れる会社へと変えていくことなんだろうと考えています。
これから、ファーストペンギンが成長していく中での私の役割は、「自分がいなくても回る会社」をつくること。100年続く企業として考えると、私がずっと社長でいられるわけじゃない、いずれ社長は変わる。
次代を担う人材育成をして、その人たちがまたファーストペンギンのDNAを受け継いでいく。組織という形は変わっていきながらも、自分がいなくなっても永続する組織にしていくことが、私の使命だと思っています。